上野風月堂の歴史

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終戦後2年で再建した上野風月堂終戦後2年で再建した上野風月堂

1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で、上野風月堂の建物も焼け落ちました。 その後も空襲は続き、8月15日の終戦時には東京はどこも焼け野原のひどい状態でした。 しかし、上野風月堂は終戦の翌年、1946年には建築確認申請書を提出。 そして終戦からわずか2年後の1947年には新店舗をオープンさせます。 上野広小路界隈で戦前並みの店舗を出したのは上野風月堂が最初でした。 さらに個人商店から株式会社に改組をするなど、戦争の痛手にくじけることなく上野風月堂は力強く戦後復興への歩みを進めていきます。

「もはや戦後ではない」。高度成長期へ向けて「もはや戦後ではない」。高度成長期へ向けて

昭和28年の社員たち

昭和28年ごろの従業員たち。

昭和33年に建てられた4階建ての6代目店舗。

昭和33年に建てられた4階建ての6代目店舗。

1956年には経済企画庁が経済白書「日本経済の成長と近代化」の結び文で「もはや戦後ではない」と記述し、流行語にもなりました。
上野風月堂も1958年には4階建ての本社ビルを新築、東京オリンピックの開催された1964年には埼玉県八潮市に中川工場を新設します。こうして上野風月堂は今日の基礎を築き上げました。
しかし残念なことに上野風月堂の祖、風月堂総本店では後継ぎの夭折が続き、昭和30年代に休業に至りました。現在、初代大住喜右衛門からの歴史を継承するのは「上野風月堂」のみとなってしまいましたが、総本店の人々と上野風月堂の温かな交流は現在も続いています。現在の上野風月堂の社長、大住佑介は、初代大住喜右衛門から数えて八世代目にあたり、初代大住喜右衛門の菓子作りへの志はここに受けつがれているのです。